やりすぎてたかな?
注意していたつもりだったが、やりすぎていたようだ・・・。
実際のところ、やりすぎだったのかよくは解らないが、朝晩の二回一時間以上の錬功はやりすぎだったようだ。
それ以外にも、仕事中はほとんど一日中立っているようにしたので、足に負担が多すぎるのかもしれない。
でも、4~50分くらいにすると、気持ちいいだけの錬功に戻る。
気持ちいいことを基準にして進める以上仕方ない。
本当は、二時間とか三時間、立禅で安らぎたいのだけれど、今の自分には無理なようだ。
今は立禅のやり方も少し変わって、数息で行なっている。
それは、立っているとき以外も、同じ意念で統一したいと思ったので、数息にしただけで、あまり深い意味はない。
ただ、数息をやると、呼吸に力を入れがちなので、自然呼吸を意識して、楽に行なうようにしている。
あまり、呼吸に力を入れると、300息で一時間以上になったこともあり、後日に弊害が出ると困るので、楽に行なうことを意識している。
まあ、呼吸にも力が入ってしまうので、当然脚にも力が入っているのだろうと思う。
もっと体を緩めて自然体で立たないと、安静にならないだろうな、と思う。
それでも気持ちいいんだから、この立禅はやめられないな!。
本当に不思議だけど気持ちいい。
ただ立っているだけの錬功が気持ちいいんです。
それでも、外面的にはただ立っているだけの立禅も、内面では大変な活動をしているといえる。
日常では意識しない弛緩や重心を意識して、身体を安定させようと見張っている感じかな?。
これが、気持ちいい秘密のような気がする。
自然に集中してしまうのだろうな、と思える。
だって、立って自分の身体を感じていると、なにか違和感を感じるところや、緊張を感じるところがあったりして、そこを緩めようとすると更に緊張したり・・・、なぜかスーッとそこが楽になったりと、面白いことの連続なんですね。
10分、20分はすぐすぎてしまうんです。
そして、もっと立ち続けたいなんて欲求が出てくるとハマる。
気持ちよさを超えて続けると、ろくな事はない・・・。
これは、独習者には厳禁なのでしょう??。
とにかく、気持ちいいと感じるだけやる。
気持ちいいことを、気持ちいいだけ続ける。
気持ちいいことが原則で、気持ちいいことが基準。
これを、自分自身に何度も何度も言い聞かせ続けている。
だって、すぐに辛く厳しい訓練のほうがいいって思いが出てきてしまうから・・・・。
だから、これだけ続けてきた立禅を振り返っても、気持ちいいことを基準に行なってきたから、継続できていると解っている。
解っているんだから、迷っちゃだめ。
気持ちいいことを原則に、気持ちいいだけやる。
それだけでいい。
あとは、好きなことをして、楽しく過ごしていればいいのに・・・。
さあ、気持ちを切り替えて、気持ちいだけ立禅をやっていこう。
これからもズーッと、気持ちいい立禅を続けていこう。
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