立禅の不思議
立禅関連を一年以上継続してきても、あまり変わったとは思えない。
とくに健康になった実感はないし、人生が大きく変わったとも思えない。
また、ダイエット効果は今の所まったくないといえる状況だ。
だけど、体の痛いところは殆どなくなった、少し違和感や痛みがあるところは残っているが、気にならないレベルになった。
これは、冷静に考えると、かなり大きな変化と言えると思うけど、実感としてよく分からない。
自然に少しずつ改善してきたせいなのかもしれないし、良くなって当然という思いもあるのかもしれない。
ただ、立禅を始めた頃の記録を読み返しても、痛いところが多かったし、違和感や不調が多々あった。
そんな体調がほとんど気にならないところまで回復したということかもしれない。
なんとも不思議な功法だとしかいえない。
期待してはいけないと思いつつも、人生の劇的変化を期待してしまうのは、私の悪い性質。
そんな思いをごまかしつつ、立つことが目的で、それ以外のことは求めないと、自分に言い聞かせてきた。
何が正しくて、何が正解なのかも解らずに、ただがむしゃらに進んできた感じかな?。
立禅とスワイショウの効果を信じて、立つことだけを目的にして、欲求を排除するつもりで・・・・。
ただ、気持ちよく立てることを目的として続けてきた。
それだけが、ここ一年余りの支えになっていたと思う。
本当に不思議で効果的な功法だとは思う。
だけど、その良さを書き連ねることができない。
それは、先に書いたように、その変化はあまりにも曖昧で、無自覚であるから。
自分でも本当に変わったのか、改善されたのかを明言できないでいる。
ただ、今の実感として、痛むところや不調と感じるところは皆無になりつつあると・・・・。
こんな書き方で良いのか?。とも思うけど、本当のことなので仕方ない。
自然にいつの間にか変わっているんだろうなと思える。
それには、なんの感動も達成感もない。
ただ、毎日の立禅関連をやったあとの達成感のような感覚だけが思い出される。
毎日、あの気分を味わいたくて、繰り返しているとしかいえない。
「気持ちいい」ことを基準として進めてきたからかもしれないし、違う要因があるのかもしれない。
とにかく、不思議で気持ちいい功法であるとしかいえない。
ただ、確実に言えることは「気持ちいい」ことを原則として、気持ちよく立つことだけを意識し続けてきたのは、正解なのだろうということ。
その理由としては、数十年間様々なトレーニングを独習してきて、何一つ物にならなかったし、継続もできなかった私が、一年以上、ほぼ毎日、継続してきたこと。
これは、かなり重要な根拠と思える。
次に、無心になるなんてことは難しいことであり、自分が悪い方向に行ってしまうのでは等と恐れていたのが、皆無になった。
すべてを委ねて無心になりたいと思えるし、安心して委ね、無心になれる気分になっている。
※書いていて思うけど、これは劇的な変化と言えるのかもしれない。
ただ、こころはあまり動かないので、感動的な感覚はない。
本当に不思議だね。
褒めたりけなしたりで、読んでいる人には伝わりにくいかもしれませんが、自然にすべてが改善されるとしたら、良くないですか?。
おそらく、私は今その過程にいるのだと思います。
しかも、すべてが自然に進むので、ほとんど感じないし、感動もない。
ただ、心の安定と、う~ん。なんて書いたら良いのか。
充足感のような感じかな?。
立禅ができればそれだけで満足みたいな・・・・。
変なやつの言葉に聞こえたらごめんなさい。
だけど、仕事は普通にしていますし、ほとんど休みなく働いていますからね。
業績も上々だし・・・・。
それも、依然のように頑張って、無理してなんて努力は一切放棄したのですが・・・。
業績は上々なんです。
これが、立禅の効果なんて言うつもりはないですけど、精神状態には大きな影響を与えられていると思います。
人生全般に「気持ちいい」こと=「気分いい」ことが基準になってきたからですかね?。
よくわからない、不思議で楽しい功法なんです。
これからも立禅を楽しみながら生きていきます。
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